何もしないでぼんやりするためだけの空白の時間が欲しい。もう少し厳密に言えば、空白の時間を手に入れるために、効率の良い生活を送れるようになりたい。
平日といえば、スーパーに寄って、帰宅して、夕飯を作って食べて、スマホをちょっと見て、キリの良いところでシャワーを浴びたらもう寝ることしか考えられない。週末は、平日にこなしきれなかった家事と体力/気力回復に費やしていたらあっという間に終わる。Netflixでドラマ1話見るのも集中力が続かない。映画は長過ぎて完走できない。隙間時間での読書は細々と続けているけれど、しばらく放っておいた本を続きから再開しようとしてもそれまでの内容が思い出せず、同じ箇所を何度も繰り返し読んでいるうちに興味を失ってしまう。語学の勉強だなんて夢のまた夢。一番悲しいのは、日々の思考をアウトプットをするための余裕がなくなったこと。文章を書くのがあんなに好きだったのに、文字にして残しておきたい感情が無限に湧いて手が追いつかないくらいだったのに、ここ最近ずっと、パソコンの前に座っても頭が空っぽである。日に日に語彙が萎んでいくのを感じる。いくらなんでも虚しすぎじゃないか。
運動でも買い物でも映画館でも飲み会でもなんでもいいけれど、平日のアフターシックスに連日予定を入れられる人のスタミナはどうなっているんだろう。疲労の回復速度が早いんだろうなとか、体力ゲージの最大値からして違うんだろうなとか、そもそもわたしは他の人と比べて外からの刺激に弱いんだろうなとか……。頭を捻ってみたけれど、周囲と比較したところでわたしの性質が変わるわけではなく、具体的な解決策も見つからない。
皆でランチしたり連れ立って飲みに行ったり、賑やかな時間を過ごすことが活力になる人もいるが、わたしはその反対で、心身の回復には誰とも話さずにひとりでいる時間がどうしても必要だ。どうしても。他人と一緒に何かをするのが気晴らしになるというのは、しかも人によっては、その「他人」が顔見知りプラスアルファ程度の存在であっても構わないというのは、わたしには持ち得ない感覚である。誰かと会うのが楽しくないわけではないのだが、よそゆきの自分を演じるために無理に背伸びをしている感覚が常にどこかにあり、一人に戻った瞬間にその反動が疲れとして出る。
変に気を遣ったり考え過ぎたりしないで自然体で楽しめばいいじゃないの、と、今まで幾度となく言われてきたが、そういうことじゃない。必ずしも、相手が苦手だとか、話が合わないから無理をしている、というわけではなくて(まあそういうパターンも少なくはないのだけれども)、誰かが自分の近くにいるだけで気持ちが張り詰めてしまう。相手が「知人」ではなく「友人」以上の存在の場合、無理をする度合いは低くなるものの、まあ似たような状態になる。相手が誰だろうが、何を一緒にしようがしなかろうが、他人の存在を自分の近くに感じるだけで体力が少しずつ削がれていく。子どもの頃からそうだった。両親ともに比較的に静かで、家族みなが個別の趣味を持ってほぼ相互干渉せず、極め付けにわたしはひとりっこだったから、なるべくしてこうなったのかもしれない。
こんな性質だからこそ、学校でも職場でも、あらゆる社会集団において、常に(ほぼ無意味に)疲れながら過ごしてきた。周囲に打ち解けていこうとする努力は中途半端なところで頓挫するし、かといって100パーセント孤高でい続けるだけの強さもないから、結局のところどっちつかず。結局大体いつも、「強烈な変人というわけではないけれども、どこかちょっと奇妙で、場になじめてない人」という立ち位置になる。それでも、人と関わること自体は興味深いし自分の地平を広げてくれるし、嫌いではないのだ。ただただ、その後に疲れてしまうのをどうにかしたい。ひとりになって心身回復をしないと翌日がもたない。毎朝毎晩毎週末、そんなことをぐるぐると考えながらも、根本的な改善云々よりも目下の疲労を取り急ぎ回復させるのに精一杯で、自分の趣味や勉強にも手がつかず、私生活がおざなりになっている。少しずつでもいいから何とかしたいと思いながら、気がつくと年単位の時間が過ぎてしまって、今。